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【関西の華僑トップが見る中国と日本】
孤児たちを励ます中国料理の味
楊正武 京都華僑総会会長
7/13/2021 10:30:42 AM  文/本誌編集長 蔣豊
 
 

「人が鉄なら、飯は鋼」(腹が減ってはいくさは出来ぬ)と昔は言われたものだが、今は「食事はヒーリング効果を持つ」と言われるようになった。温かくおいしい食事は、心理的にも物質的にも満足をもたらしてくれる。これはもう人々の共通認識になっているだろう。

京都には、美食を媒介として中日の民間の友情をつなぎ、文化を架け橋として中日交流の歴史を確固たるものにした華僑リーダーがいる。彼の物語は、民族が古い時代から新しい社会へと換骨堕胎の変化を遂げたことを反映しており、彼の経歴は中国人同胞の海外での創業の縮図と言える。彼とは、京都華僑総会の会長であり、琢磨会の会長でもある楊正武である。

 

中国料理で孤児たちを励ます

「来週は兵庫県に行きますよ」。変異型の新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない状況下である。76歳の老華僑、楊正武の力強い一言に、密かに心配をつのらせた。

実は、兵庫県に行くと決めているのは、そこに住む子供たちに料理を作るためである。「大学イモは子供たちが一番好きな料理だし、鶏の唐揚げもとても人気があります」。楊正武が日本各地の児童養護施設の子供たちに温かい中国料理を提供し続けて、すでに半世紀近くが過ぎた。数十年間で彼は日本の25の都道府県を訪れ、中国料理で子供たちに笑顔を届けてきた。それは1280回にも及ぶ。

楊正武は料理人の顔を持つ。日本の高等学校で学んだ後、彼は歴史ある老舗レストランや、数百人規模の大型レストランでそれぞれ料理長を務めた。

楊正武は感慨深く語る。「昔、中国人が海外で起業する場合、包丁(料理人)とハサミ(仕立屋)と剃刀(理容師)の『三把刀(三つの刀)』がセットになっていたものです。父親は剃刀で4人の子供を育て上げ、私もまず剃刀を受け継ぎましたが、その後包丁に持ち替え、老舗が林立する京都に店を構えました」。

料理人の地位向上、同業者間の助け合い、児童福祉事業への貢献を目的として、1982年に京都に琢磨会が設立された。会の名称は中国の古典『詩経・国風』の一節「切磋琢磨」から取られたものだ。京都をはじめとする関西の中国人料理人の協会であり、技術と徳を磨き、高い専門性、道徳観、素養を持つ新時代の中国人料理人のイメージを打ち立てようとしている。

楊正武のリーダーシップのもとで、琢磨会は設立後すぐに児童福祉事業に注目し、数十年一日の如く、おいしい中国料理で子供たちの心を温めている。2015年、京都府福祉大会において楊正武は、当時の山田啓二京都府知事から賞状を授与された。さらに2017年には、日本の児童福祉法施行70周年記念を記念して開催された「全国社会福祉大会」において、加藤勝信厚生労働大臣(当時)からボランティア貢献賞を授与された。琢磨会は日本の様々な行政機関からたびたび表彰されている。

「当初は、名声を得ようという気持ちは全くなかった。ただ、おいしい料理を作ることに専念して来ただけだが、長く続けているうちに、社会の人々に認められるようになったことは予想外の収穫です」と楊正武は語る。

 

中国人のイメージを変えよう

「私は1945年8月9日、アメリカが長崎に原爆を投下した日に生まれました。父は福建省から日本に来た『初代華僑』で、ゼロからスタートして大変苦労したのです」。日本が降伏する前、華僑華人たちは一家を養うため、さまざまな不公平な待遇に耐えていた。両親から聞いた昔の話が忘れられないという。

当時、中国は戦勝国ではあったものの、華僑華人の地位は根本的に向上しなかったと楊正武は感じていた。「私の妻は林と言います。日本にも林という苗字がありますが、周りの人たちから『その林はあの林とは違う』と差別されました。それは1970年代まで続き、国交正常化後、徐々に改善されていきました」。

父が来日したのはわずか十数歳のころで、日本語は全くできなかった。福建省の同郷者たちが彼を引き受け、理容師の見習いからスタートさせ、一歩一歩家庭を持つまで援助した。

父はいつも子供たちと同胞間の信頼や共助を分かち合い、故郷の情が楊正武の心に刻み付けられた。京都付近に住む福建省出身の華僑は自然に同郷会を作り、楊正武もその一員となった。のちに、さらに多くの華僑華人の団結のために、同郷会の基礎の上に京都華僑総会が設立された。

京都華僑総会の会長に就任してから、楊正武の双肩には多くの責任が加わった。いかに海外華僑同胞と故郷との橋渡しをするか、いかに華僑華人が現地社会に溶け込むサポートをするかなど、検討すべき課題があった。

楊正武は福建省福清出身である。改革開放後、福清のビジネス環境は向上し続けており、海外同胞に投資と起業のためのプラットフォームを創出してきた。現在、福清は揚子江デルタ地帯と珠江デルタ地帯に次ぐエネルギッシュな地域へと成長した。2019年、福清のGDPは1200億元(約2兆6000億円)を超え、全国18位となっている。

国務院華僑事務弁公室による海外華僑有益プロジェクトの中国料理繁栄プログラムにより、福建省に中国料理繁栄のための拠点が設立された。専門化、基準化、産業化された「新しい華僑料理」は、海外の中国料理の就業者に「内側からのパワー」を提供し、中国文化のソフトパワーを全世界に示し、向上させることに寄与している。国内外の中国料理の料理人たちは中国の改革開放、繁栄の生き証人であるだけでなく、受益者ともなったと、楊正武は感慨深く語った。

京都観光おもてなし大使を務める楊正武は、中国人が国家の強力な後ろ盾によって豊かになったことに感動を覚えている。そして、中国人観光客の増加から祖国の発展を感じ取るとともに、同胞たちには、日本人に中華の文化と文明を伝えてほしいと期待を寄せる。

 

歴史は文化の架け橋であり紐帯である

中日国交正常化以前にも、京都の有識者たちは黙々と両国間の民間交流を推し進めていた。清水寺の故大西良慶和上もその中の一人であった。楊正武は先人達がお世話になった故大西和上の命日に、生前好んだ甘味の物を供養している。当時は京都に住む華人はまだ少なく、現地住民の中国に対する理解は深くはなかったが、京都人の善意と関心を感じていた。

17世紀半ば、福建の隠元禅師が日本に渡り、京都の萬福寺で黄檗宗を開創し、日本の茶道、彫刻などの文化にも大きな影響を及ぼした。インゲン豆は隠元禅師によって日本にもたらされ、食材として重宝されるようになった。これはまさに故郷の先達による文化の伝播であり、楊正武が、中国料理によって中日両国の民間友好を促進したいと考えるようになったきっかけだと言う。

京都観光おもてなし大使への就任について、楊正武は感慨深いことだとし、千年の古都・京都が華僑華人の社会貢献を認めた証左であり、中日民間文化交流の架け橋になりたいと語った。

 

「義荘」に故郷への思い

楊正武は京都華僑墓地委員会の元委員長である。華僑墓地の前身は「中華義荘」である。義荘の歴史は宋の時代まで遡る。範仲が出資し、範氏義荘を設立、現地で没したものの故郷に戻れなかった同郷人を葬った。中国には「落葉帰根」という言葉がある。木の葉が落ちたら木の根元に戻る、という意味だが、海外に住む華僑華人は最終的に故郷に戻れないことも多いため、「義荘」に対しては特別な感情を持っている。

京都華僑墓地は4000坪の広さがあり、京都で唯一土葬がおこなわれている墓地である。墓地は山の斜面にあり、墓碑は全て故郷の方向である西南を向いている。華僑墓地委員会は同胞に対して配慮し、墓地の費用は安く抑えられており、一種の慈善事業となっている。後継ぎがいなくなった墓地についても、管理会が定期的に清掃し、誠心誠意お世話をしている。

楊正武は、華僑の二代目、三代目が墓参りに訪れている姿を目にする時、家族愛と文化の継承を感じ、この仕事に特別なやりがいを感じるのである。

 

取材後記

取材を終えて楊正武は語った。「私はよく京都大学の中国留学生学友会の活動に参加していますが、彼らには『若者は中国人としてのプライドを忘れてはいけない、海外の中国人は祖国の発展と、何代もの華僑の努力と奮闘に誇りを持たなければならない』と話しています」と。気持ちのこもった言葉であった。この誇りは得難いものであり、忘れてはならないものである。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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